臭いは鏡に映らない

口臭は鏡に映らない。
どんなに身なりに気をつけようとも、鏡で確認が出来ないんである。
もとい、鏡うんぬんの前に、自分で確認する事自体が難しい。
そのせいで、髪型ばっちり服装ばっちり、理論武装も立ち振る舞いもパーフェクト、なのにどうして口臭が・・・という事態が起きるのである。

口臭も身だしなみのひとつ。

ちなみに髪型服装ばっちりで口臭がアウトというのは、僕が営業職をしていた頃の先輩の事で、
彼は「営業は身だしなみが第一」という格言を新人にいつも伝えており、当然、その格言を口にする時、その口はすでに臭っていた。

それは僕が生まれて初めて、リアルに自分の口臭を意識した瞬間である。
自分では気付く事が出来ないという、恐怖に似た感情を覚えた、最初の瞬間だったのである。

ちなみに、自分では気付けないとは言うが、大酒を飲んだ翌日や、、臭いのきついものを食べた後などは、自分でも解る。
つまり、普段とは違う臭いを口が発している場合は気付くのだ。
それがどういう事かと言うと、つまり、普段から臭い場合はそれに絶対に気付かないのである。
当然と言えば当然で、普段から臭ければそれが普通なのである。異常ではないのだ。  

「煙草くさい」は「口が臭い」と同じ。

先輩の口臭を目の当たりにして以来、僕は臭いというものを気にする様になった。
そして、ある日、僕は自分がよく言われていた言葉を思い起こし、愕然とした。  「煙草くさい」  そう、僕はヘビースモーカーなので、煙草くさいという言葉を度々言われる事があった。
それを言われた時、いつもは「うん、さっき吸ったからね」などと流していたが、これは実は問題ではないかと思い至ったのである。

ヘビースモーカーである僕は、もはや煙草臭い口臭というものが普通になっており、それがある種異常な状態なのだと気付くことはなかった。
言ってみれば、常に臭いのである。
僕の口は常に煙草臭い、口臭のきつい人、だったのである。

煙草くさい、という言い回しに「臭いのは、あくまで煙草である」という、奇妙な免罪符をいつの間にか獲得してしまっていたが、
煙草が臭いのではない。煙草臭いとは、つまり「あなたは臭い」だったのである。

そういえば、小学生の頃、煙草とコーヒーの混ざった先生の口臭に鼻を曲げたものだ。
不快極まりない臭いだったが、その先生は「煙草臭い」という指摘に、のんきに笑っていた。
おそらく「口が臭い」というのは、けっこう傷つく言葉だと思う。
だからこそ、人はあまり臭いという事を指摘しない。

だが、煙草臭いという言葉は、比較的言うと思う。
これは煙草を吸う人間には意外と盲点であると思う。
臭いのは自分ではないと錯覚してしまうのだが、それが常態化してしまえば、煙草臭い=お前臭い、だと言って差し支えない。

以来、僕は毎日うがい薬を携帯し、煙草を吸うたびにフリスク等を食べる事を習慣づけた。
うがいとフリスクにより、煙草臭いという指摘は無くなった。やはり煙草臭い=口が臭いだったのだなと実感した。

現在、僕は三十四歳で、中年に片足を突っ込んでいる年齢という事もあり、加齢臭対策用の石鹸を使い、食生活も改善を試みている。
聞くところによると、この加齢臭というのも、臭いを発している本人と、その臭いをかいでしまった第三者とのギャップは激しいらしい。
そこにもまた、本人にはそこまで臭いが明確に解らないという恐怖が潜んでいる。自覚症状が薄いのである。  

加齢による内蔵機能の低下と唾液の減少が、加齢による口臭を生み出すらしく、
おまけに、加齢+疲労=口臭という、恐るべき方程式もあるという。
健康でストレスフリーである状態を維持しなければ、加齢口臭はいつでも襲い掛かるらしく、
もはや恐々としながら、それらへの対策に奔走している。
石鹸やうがいなど、外的な事だけでなく、食事に運動、正しき休暇、である。

同年代の友人から、気にしすぎとの指摘を受ける事もあるが、現在も営業職を続けている身である。
「営業は身だしなみが第一」という、あの先輩の言葉と口臭を教訓に、近頃煙草も減らし、禁煙にも挑戦しようかと考えている。